タイ遠征その0 はじめに

ゴリ

2012年09月08日 01:17

「海外で釣り」というのは釣り人なら誰もが持っている憧れではないでしょうか。
開高健という巨匠をはじめとして,最近では武石氏,小塚氏など,海外のフィールドで未知の巨魚・怪魚を相手に活躍する釣り人も増えてきました。

海を超えてリアルタイムで情報のやりとりが可能になった今日この頃。
オーパという熱病が発信されたあの頃より,「海外」という言葉はずっと身近になったと思います。

で,当然ながら「海外で釣り」という言葉に憧れを持っていた私です。
当ブログでも度々言っていたように,国際事業部という部署柄,いつか海外で釣りができる機会があるだろうと思っていました。
でも,社会人になって4年目,「新人」というラベルが外れ,業務が増えて,あっという間に日々が経過していきます。
1年前の今頃が,懐かしくもあり,遠い昔のように思えるってことは,密度の濃い充実した日々を送っているのでしょう。
仕事については,いつだって全力で取り組んでいます。
面白いし,やりがいもあります。日々の生活にこれと言った不満はありません。

しかしです。
自分の中で,何かが燻ってはいないかと,いや,始まってすらいないことがあるんじゃないかと,ふとした時に思うのです。
海外で釣りしたいという憧れが,自分の中のどっかに引っ掛かったまま置き去りにされているんじゃないかと思うんですよ。

学生前半は時間はあったけど,お金がありませんでした。
学生後半は時間もお金もありませんでした。
社会人になって,お金は貯まったけど,時間がなくなりました。

しかし,しかし,本当はただそれを言い訳にしていただけじゃないかと,何も動かなかっただけじゃないか?と,後悔の念が頭をよぎるのです。

人生は短いです。今年の初め,それを思い知りました。
「いつか」という言葉にはいつも諦めと慰めが混じります。
「海外で仕事してるし,いつか機会があれば釣りもしたいですね」なんてほざいても,「いつか」はいつまで経っても来ないのです。
ましてや私は独り身で,時間と資金を自分の裁量で仕切れる最後の機会。
多分それは海外遠征に,いや,釣りに限った話ではありません。
自分が,憧れに思ったことを,格好良いと感じたことを,ただ,何となく流れる日々の中に埋もれさせて良いのか?ということなんです。
自分がなりたかった自分はこんなもんなのかと,全力で生きるというのが,本当にこんなもんなのかと,自分に問答するんですよ。
「出来る・出来ない」の二択に意味はありません。
「動く・動かない」の二択しかないんですよ,いつだって!

「いつか」じゃなく,今,動き出さなきゃ,また,とりとめもなく流れる明日が続くだけ。

そんな思いを抱き始めた矢先に,ぽっかりとスケジュールが空いた8月下旬。
1週間,そんなに休みを取れるか?なんて悩みは,取った後に考えましょう。

いつだって動き出しが遅く,踏み切る度胸を持たない私ですが,重い重い腰を上げて,自分の中に引っ掛かっていた何かを取り戻しに行こうと思ったのです。

行先はタイ。ボリヲタ上等,とりあえず行ってみて,考えることにします

『氷が動き出した,独楽が回り始めた。』

そうなんだ!
私は、この言葉を,ずっとずっと言いたかったんですよ!ええ!

関連記事